一番目 御獅子様
村のはずれの一本松に異形の物が留まっている。人々が集まって騒いでいるがラチがあかない。そこへ野口村庄屋の初代安積清右衛門が行くと、「そなたが来るのを待っていた」といって降りて来られた。それは一人の志士であったが、日本という国ができるはるか昔に大陸から渡って来られた神の流れを汲む方であった。その方は獅子の姿になられ、神としてこの蘇原に鎮座され、今日にいたるまで長く村人を守り、教え導いてくださっている。
二番目 文政騒動
江戸時代には3000件の農民一揆があったが、これは唯一完璧に成功したものである。文政12年(1829年)、不当な御用金に抵抗して立ち上がった二代目の安積清右衛門は追い詰められていく。しかし、孤独と絶望、苦悩と葛藤の中で、強靭な思索によって活路を切り開いていく。「至誠前知」というが、誠を尽くせば未来が見えてくる。「座して成敗を観て、立ちて生死を験す」というように、乾坤一擲勝負を決する男の哲学が見どころである。
三番目 島崎桜
美代は心を寄せる彦作と一夜を共にする。翌朝、彦作は一揆のため江戸へ直訴に行くという。必死で止めるが彦作は去っていく。やがて彦作は駕籠訴を決行する。その晩、美代は胸騒ぎがして目を覚まし、恋しさが恨みに変わって狂舞する。やがて彦作は、拷問に耐え、義民となって帰ってくる。木曾川の渡しで再開する時、もはや二人は別人になっていた。エゴが浄化され、ともに成長して男女を超えた強い絆でむすばれ、ともに世のために尽くすことを誓う。
四番目 東門奴
元の話はおどろおどろしい怪談である。庄屋の下男(東門奴)が、集めた冥加金を落して侍に切り殺され、火の玉となって橋のたもとでさ迷っている。そこへ重傷を負った旅人が現れる。旅人は冤罪で追われる宝暦義民の末裔である。旅人と語り合う中で、東門奴は自分の死の意味を理解して成仏していく。二人は権力者の身勝手さによる犠牲者であった。やがて終焉を迎える理不尽な武家の世の矛盾が明らかになっていく。
五番目 野口太郎
真面目で優秀な青年が罪を犯し、自ら富士の樹海で命を断つが、遠い先祖の縁で故郷の野口明神社に帰ってくる。ようやく成仏できると思ったところに、意外にも聖徳太子の霊が現れる。今また日本は、憲法を改正して戦争へと向かおうとしている。太子は、「和をもって貴し成す」という十七条憲法の精神を説いて、青年をたしなめる。太子に諭され、青年は先祖の志を思いおこし、野口太郎の自覚を得る。そして、堕落して右傾化する現代の若者に憑依してこれを善導することを誓う。