この度、発起人である故飯沼利良氏の意志を継いで、蘇原能実行委員会を立ち上げることになりました。飯沼氏は野口区自治会の初代区長を務められ、地域の歴史についても造詣が深く、文化・芸術・教育にも見識の高い方でありました。
私たちの目的は、苦難に耐えて今日の私たちの生活の基を築いてくださった先人の尊い志を後生に伝えるため、その崇高で悲壮な生き様を、厳粛で幽玄な新作能として演じ、文化・芸術・教育に資することです。
幸い、飯沼氏を始めとする古老から多額のご寄付を賜り、機も熟してまいりました。また、能楽協会名古屋支部に所属される、新進気鋭の観世流能楽師山中雅志氏のご協力をいただけることになりました。そこで有志一同が、規約を定め、この公演に取り組むことになった次第です。
演目は蘇原に伝わる話をもとにした「御獅子様」「文政騒動」「島崎桜」「東門奴」「野口太郎」ですが、これを現代新作能として演じていただきます。しばしば、能は難解で退屈なものといわれます。しかし、私たちの能はよく分かる、新鮮で感動的なものです。観阿弥・世阿弥の原点に立ち戻り、能楽史上に残る画期的な舞台をめざしています。
能のもととなった猿楽や田楽は、平安時代から庶民の楽しみでした。それが鎌倉時代になると、洗練されて武士や公家の嗜みとなりました。さらに室町時代には観阿弥・世阿弥が登場し、芸術として完成しました。
その後、芝居や映画が登場してくると、能は純化して「幽玄」の境地を求めるものに発達しました。それは、カメラが発明されると絵画が純化し、新たな発達を遂げたのと軌を一にしています。それは「印象」を重視するゴッホの「ひまわり」やモネの「印象・日の出」に実例を見ることができます。
そして現代、能は主権者である私たち国民の生活であり哲学となりました。私たちの能は、円空の一刀彫のように稚拙で荒削りに見えますが、余計なものをそぎ落として、最も大切な本質的なものを的確に表現しています。これが難解で退屈なはずがありません。
それでは「幽玄」とはいかなるものでしょうか。それは、「幽かで玄い」ということです。つまり、真理や正義と言うものは見えにくいものだということです。政治はそれを多数決という強引な方法で決めつけます。そして罪なき多くの人たちが犠牲になります。しかし、私たちの祖先は、その幽かで玄いものから目を背けず、あくまでも真理と正義を探究し続けられました。今、その霊が蘇って、私たちに語られるのです。
2021年3月末日、安積清右衛門様や御獅子様に会いに来てください。彦作様、美代様、東門奴、宝暦義民の末裔、さらに聖徳太子、野口太郎に会いに来てください。そして、悲しくも美しく、虐げられてもたくましい、短命ながらも永遠な、幽玄のかなたの人の命の輝きをご覧ください。
皆様とともに、目頭が熱く、胸がいっぱいになるひと時を過ごしたいと思います。それは同時に、やがて伝説となる能楽史上の一大事件を目撃し、人生における千載一遇の体験をしていただくということです。百年に一人の能楽師とともに、私たち実行委員は村国座にて皆様をお待ち申し上げております。
2019年9月吉日
協賛者各位
実行委員
安積隆雄
大堀一志
國定裕子
寺田重康
寺田誠知
寺田雅子
永田久代
水野優一
椋木昭夫
〈 あいうえお順 〉